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“食べると勝手にととのう居酒屋”が示す「飲食業は真の健康産業」の存在感

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フードサービス・ジャーナリスト千葉哲幸 連載第五十五弾

 
8月13日、東京・JR高円寺駅北口から徒歩3分程度のところに「高円寺 動悸~ときめき~」という店がオープンした。コの字型のカウンター席がメインとなった店内は約27坪で44席を配している。同店のキャッチフレーズは“食べると勝手にととのう居酒屋”となっているが、それを訴える同店の特徴とは「分子栄養学」に基づいた料理を提供していることだ。
 
そしてもう一つ、飲食業の経営の在り方に一石を投じている。同店はフードクルーズファクトリー(本社/東京都台東区、代表/澤邉真一)の直営店である(総店舗数15)。同社は2003年4月に創業、大箱の大衆居酒屋やワインバーの加盟店となり業容を拡大してきた。今回、同店を開発した狙いは、社員が年齢を重ねる中でスキルを身に付けて、安心して働き続けられる飲食業を育てて行くという思いが込められている。
 
そこで、同店が立ち上がった背景と展望について、順を追って説明をしていこう。
 
プロデューサーの森智範氏とオーナーであるフードクルーズファクトリー代表の澤邉真一氏【プロデューサーの森智範氏(右)とオーナーであるフードクルーズファクトリー代表の澤邉真一氏】
 

「ヌーベルキュイジーヌ」の教え

まず「分子栄養学」とは何か。これは「分子整合栄養医学」「オーソモレキュラー療法」とも呼ばれて、病気に対するこれまでの療法である投薬などの対処療法的な治療から根本治療にアプローチできる医学のこと。身体に必要な栄養素を十分に摂取することで、細胞の一つ一つを元気にして、自然治癒力や免疫力を高め、病気を治療するだけではなく、未病を防いだり健康増進が期待できる栄養療法ということだ(一般社団法人分子整合栄養医学普及協会より)。
 
「高円寺 動悸~ときめき~」の商品開発を担当したのは、ミシュラン星の和食店で実績を積んできた寺田嗣佐夫(ひさお)氏。同店のメニューは寺田氏と共に監修したメンバーが開発した「ボーンブロス出汁」(肉と骨からとった出汁)を使用した和食メニューで構成されている。お通しは「焼き胡麻豆腐」330円(税込、以下同)。前菜として「名物!とうもろこしのムースと生雲丹」418円。「蛸とフルーツトマトみぞれ和え」748円、「蒸し毛蟹半身」1738円など。メイン料理は、鮮魚や野菜を囲炉裏端でじっくりと串焼きにする日本の伝統的な調理法の「原始焼き」。そして、グルテンフリーのラーメン、糖質オフ(30%、80%など)のデザート等で構成されている。
 
メイン料理の原始焼きは店内中央の囲炉裏端でじっくりと焼き上げ、余分な水分を飛ばして鮮魚の旨味を牛宿させる【メイン料理の原始焼きは店内中央の囲炉裏端でじっくりと焼き上げ、余分な水分を飛ばして鮮魚の旨味を牛宿させる】
 
このメニューのアイデアは同店にプロデューサーとして参画した森智範(とものり)氏(53)が発案した。森氏は1990年代に「クイーンアリス」の石鍋裕氏の元でフロアスタッフとして働き、石鍋氏の料理哲学に大きな影響を受けている。
 
石鍋氏はフランスでの修業時代に「ヌーベルキュイジーヌ」を提唱するミッシェル・ゲラール氏の元で働いていた。フランス料理の伝統的高級料理は「オートキュイジーヌ」と呼ばれ、宮廷料理を一般化したもので濃厚でこってりしたソース料理が主体。それが1960年代から70年代の当時に食材の持つ自然な風味や質感、色を重視した、軽く繊細なスタイルが用いられるようになった。これには日本料理の技法から影響を受けているとされ「ヌーベルキュイジーヌ」として広まった。
 
これらを吸収した石鍋氏は「クイーンアリス」で試みた。森氏は、その後福岡市内で飲食店を開業するが、石鍋氏の料理の表現を同店で活かして大いに繁盛した。
 
お通しの「焼き胡麻豆腐」330円は「高円寺 動悸~ときめき~」の料理の入口となる【お通しの「焼き胡麻豆腐」330円は「高円寺 動悸~ときめき~」の料理の入口となる】
 

医療系の要素を含んだ飲食店

飲食店の経営とプロデューサーとしても忙しく働く森氏は2015年ごろに体調を崩した。
医師に相談したところ「普通の治療を受けると薬漬けになる」と言われた。そこで独自に調べて行ったところ、自分は「新型栄養失調」であることを確信した。これは質的栄養失調とも呼ばれ、糖質に偏った食事などによって、タンパク質・脂肪酸・ビタミン・ミネラル不足の状態に陥ること。うつ病の発症は、タンパク質不足にセロトニン(精神を安定させる脳内伝達物質の一種)の低下も要因の一つされている(一般社団法人オーソモレキュラー栄養医学研究所より)。
 
森氏はフランス料理で「ヌーベルキュイジーヌ」が誕生した背景をベースにしながら、新型栄養失調を改善するための情報収集と「おいしさと健康の両立」を実現するメニューを模索した。その過程で分子栄養学を知り、分子栄養学アドバイザーである岩本綾子氏と出会った。
 
森氏は昨年春に医療系の事業も行う外食企業のリロードエッジ(本社/東京都新宿区、代表/高取健治)より医療系の要素を含んだ飲食店をプロデュースすることを依頼され、岩本氏の監修の元で分子栄養学に基づいたメニュー開発にいそしむようになった。テーマは「血糖値が上がりにくい」「腸が整い食べても太りにくい」「美しさをキープする」という効果が期待できるということ。こうして昨年10月、東京・大手町にボーンブロス懐石と完全栄養食ランチの「梯子」をオープンした。同店は客単価8000円から1万円の“高級居酒屋”として定着するようになった。
 
店内はコの字型のカウンターを中心に構成され、仕事風景がショーアップされている【店内はコの字型のカウンターを中心に構成され、仕事風景がショーアップされている】
 

店長・料理長として定年退職できる職場

さて「高円寺 動悸~ときめき~」をつくったフードクルーズファクトリーは、冒頭で述べた通りFC加盟店として業容を拡大してきた。創業当時の事業は大衆居酒屋の「土間土間」で、客単価3000円を切りながら、空中階の100席規模の店が月商二千数百万円を売り上げていた。後に女性社員が増えるようになり女性が店長として活躍することを想定してワインバーの「Di PUNTO」を展開するようになった。その後の会社のありようについて同社代表の澤邉氏はこう語る。
 
「この二つの業態は若い従業員が運営している。そこで、アルバイトを社員にするという“入口”の業態としては良かった。しかし、社員は40代、50代になっていく。業態のイメージに対して、また働く人の体力的にもこれらで働くことが難しくなってきた。そこで小規模の直営店を展開するようになった。社員の“出口”になるものとして、店長、料理人として定年退職できる職場づくりを考えた」
 
「また、当社では20年間飲食業を展開してきていて店舗運営力は高いと自負している。そこで業態開発は専門家に任せて、われわれの会社のためにつくってくれた業態で、メニューづくりの技術の習得と店舗運営に専念していこうと考えた」
 
その一環で誕生したのが同店なのである。澤邉氏はこう語る。
「プロデューサーの森さんをご紹介していただき、初めて『梯子』でお通しの『焼き胡麻豆腐』を食べたときに、素直に『おいしい』と思った。この時、分子栄養学のことを知らなかったが、この知識を深めていくことによって、当社の社員がこれらのメニューづくりのスキルを身に付けるようになったら、社員の人生の選択肢と、会社の事業成長の選択肢が増えるのではと考えた」
 
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社員ファーストの思いが広がる

オープンして1カ月が経過して、同店はさまざまな客層でにぎわっている。中央線沿線だけではなく西武新宿線近くまでと広範囲にポスティングしたことから“食べると勝手にととのう居酒屋”のキャッチコピーは食に対して高感度のアンテナを持つ人たちに届いたようだ。比較的に所得に余裕のあるような年配のご夫婦が多く、客単価は5000円から6000円のあたりで、金曜日、土曜日には1万円を超えることも多々ある。
 
澤邉氏はこの業態に大きな可能性を感じ取っている。同社では、例えば蒲田、渋谷、池袋、上野という具合に都内の多様なエリアに店舗を構えている。
「この業態は、それぞれのエリアで店舗展開できることでしょう。そこでドミナント出店をすることによって責任者を置くことができる。それぞれのエリアが充実していくと分社化して、責任者は社長になって、と展望が広がる」
 
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このように澤邉氏は“社員ファースト”の哲学を熱く語る。この思いが、食のトレンドの歴史を知り、食の本質を追求する森氏の哲学と結びついた。「飲食業は真の健康産業」である。それはお客にとっても従業員の働く環境にとっても同様である。
 
同店での“食べると勝手にととのう居酒屋”はこれからの飲食業の潮流になって行くのではないだろうか。
 

 
千葉哲幸(ちば てつゆき)
 
フードフォーラム代表 フードサービス・ジャーナリスト
柴田書店『月刊食堂』、商業界『飲食店経営』の編集長を務めた後、2014年7月に独立。フードサービス業界記者歴三十数年。フードサービス業界の歴史に詳しく最新の動向も追求している。「フードフォーラム」の屋号を掲げて、取材・執筆・書籍プロデュース、セミナー活動を行う。著書に『外食入門』(日本食糧新聞社発行、2017年)。
 

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