地名の由来は聖武天皇の時代から
国分寺市は東京都多摩地域にあり、東京都全体のほぼ中央に位置する市です。府中市・国立市・立川市・小平市・小金井市と隣接し、東西にJR中央線、南北にJR武蔵野線が走り交通の便もいい街です。
面積は11.5平方キロメートルと、23区を含めた東京都全体のなかでも小さい方に入りますが、人口はおよそ12万人であり、人口の密集した地域であることが分かります。
国分寺市という地名には、古い歴史があります。天平13年(741年)に聖武天皇が全国に国分寺を建立するよう命じたのがきっかけです。武蔵国の中心であった現在の府中市に近い国分寺市にもそのひとつが建立され、当時の都である奈良に通じる主要道沿いであったこともあり、府中と国分寺周辺は政治と文化の中心地として栄えていきました。
しかし、鎌倉時代の戦により武蔵国分寺は消失します。その後再建されることはなく、跡地として残った遺跡は大正11年に国の史跡に指定されました。焼失後も国分寺という地名は残り続け、明治22年に町村制が施行されて、国分寺村が誕生します。明治26年東京府に編入されたこともあり次第に人口を増やしながら、昭和期に国分寺町の町制を経て、昭和39年から国分寺市として市政が開始しました。
今も武蔵国分僧寺跡、七重塔跡、武蔵国分尼寺跡などが当時の面影を残し、遺跡として保存されながら街の名前の由来を物語っています。
現代の国分寺市が持つ3つの表情
このように歴史深い国分寺市は、歴史ある産業も生かしながら新たな表情も持つ街へと生まれ変わっています。
その表情のうちのひとつが、国分寺駅北口再開発によって生まれ変わった街並みです。超高層マンションの建設も含め、ユニバーサルデザインとバリアフリーに配慮した街づくりが進められています。また、商業施設と行政機関を集約し、国分寺市の新たな顔となる地域を目指しています。
2つ目の表情は、都市と農業の共生を目指した街づくりです。その中心となるのは、「国分寺三百年野菜 こくベジプロジェクト」と名付けられた取り組みです。国分寺の名水を利用した新田開発から300年、長い年月をかけて培われてきた循環型農業の技術によって作られた国分寺野菜の魅力をPRしています。循環の考えは技術の継承と産業の継続にもつながり、平成4年に開講した市民農業大学により人材育成が進んでいます。
そして3つ目の表情は、国分寺の古い歴史からはなかなか想像できない、「ロケットの街」という意外な一面です。国分寺市は、昭和30年に日本初のロケット発射実験が行われた場所であり、日本の宇宙開発発祥の地と呼ばれています。ロケットの発射実験が行われた場所には、実験から50周年を迎えた平成17年から翌年にかけて記念碑が建立され、100周年を迎える50年後に向けたタイムカプセルが埋められています。また、平成27年には国分寺市が市政50周年を迎え、それを記念して太陽系の小惑星のひとつに「コクブンジ」という名前がつけられました。今も4年2ヶ月の周期で小惑星「コクブンジ」は太陽の周りを回っています。こうした宇宙開発黎明期の思いを、未来を担う子どもたちへと受け継ぎ、活気ある街づくりへとつなげていく取り組みが行われています。
歴史と新旧の産業が息づく街
国分寺市の地名が持つ深い歴史と、国分寺市が取り組む新旧合わせた3つの産業をご紹介しました。
国分寺市にはその名に残るとおり寺院の深い歴史があり、観光の要衝となっています。また、古くから盛んだった農業を新しい形で発展させるプロジェクトが進められ、宇宙開発発祥の地といった珍しい一面も持ち合わせています。国分寺市では、再開発が進んでいることもあり、新しい形のビジネス・ショップが出店しやすい場所と言えます。