「好き」が高じて官僚からタイ料理店経営に転身、「タイ文化のエキスパート」として認められる
JR赤羽駅には改札口が北と南の2カ所存在する。これまでにぎわっていたのは北の改札口から出て、飲食店が軒を連ねる1番街へと続く一帯であった。それが、今年の7月末に南改札の内側に「エキュート赤羽みなみ」が出来たことで、北とは違った賑わいが誕生した。これに伴って、北側の駅の商業施設を「エキュート赤羽きた」と呼ぶようになった。
エキュート赤羽みなみの場所は、これが出来るまでは駅のホームをつなぐ閑散とした空間であった。飲食店も幾つか存在したが率直に言って地味な雰囲気であった。
それがリニューアルによって新しく複数の飲食店や、スーパーが立ち並び、人が立ち寄るエリアとなった。この中でも繁盛ぶりが目立つのは「タイ料理研究所」。11時オープン前にはお客が並び、アイドルタイム以外は長蛇の行列がずーっと続いている。従業員のほとんどはタイ国籍の人たち。店に居ながら本場の雰囲気に浸れることも魅力だが、フードのクオリティが高いことも大きなポイントである。
【「エキュート赤羽みなみ」の中にある「タイ料理研究所」。ここの飲食店はすべて20坪程度で、ハンバーガー、すし、ラーメン、そば、カフェと大衆的な業種でありながら個性的なブランドがそろっている】
語り続けることで情報も人も集まってきた
この「タイ料理研究所」を運営しているのは株式会社SUU・SUU・CHAIYOO(スー・スー・チャイヨ、以下SSC。本社/東京都・大田区、代表/川口洋)。都内にタイ料理店を4つのブランドで17店舗を展開している。
同社の代表、川口氏(55歳)は、飲食業に参入する前は外務省の官僚でアラビア語の専門家として活動していた。そんな川口氏がタイ料理に魅入られるようになったのは、中東のシリアやオマーンに駐在していた当時のこと。大使館の中で催す食事会を日本料理でおもてなししようと、日本食材を求めて初めてタイに買付に行く機会があったこと。これが26歳の当時。そこで、タイ料理とタイの人々の人間性に魅かれるようになり、タイにたびたび訪れるようになった。
官僚として忙しくもあり楽しく働いていたが、だんだんと「自分で何か商売をしたい」と考えるようになったという。そこで実際に辞める段になって「タイ料理の飲食店で独立する」と決意した。
【店内のタッチパネルで表示される一例、企業文化をアピールしているパターン】
帰国して、タイ料理店を展開している会社に入社して、独立のための修業を始めた。さまざまなタイ料理を食べ歩く中で自分が思い描くタイ料理店の方向性が定まっていった。当時、修業をしている会社の人や出会う人に、「タイ料理店を開業したい」という想いを語り続けたところ、さまざまな人が、飲食店を開業するための情報を教えてくれた。
このような縁がつながっていくうちに、川口氏は日本に滞在しているタイ国籍の人の間で「タイ料理店を開業準備中の人物」として知られるようになった。タイ料理の食材を扱う小売店で商品を探していると、この店を訪れていたタイ人から「何か仕事はありませんか」と話し掛けられたり。こうして2004年11月、創業店の「クルン・サイアム」を自由が丘に出店した。
調理済み冷凍食品によって販路が広がる
冒頭、「料理のクオリティが高い」と述べたが、SSCの料理人はすべてタイ国籍の人で、全員現地で料理人として5年以上の経験がある技能ビザの人たちである。そして、現地にいる技能ビザ取得の資格を持つ親戚や友人を呼び寄せるという形で、料理人の雇用が広がっていった。
【店内はタイの現地で仕入れた小物や雑貨を装飾品として活用して本場の雰囲気を醸し出している】
また、特定技能制度ができてから、タイ国籍の女性が店長になる事例が増えてきた。タイの女性はとても元気で活発で、「店長会議になると、私はタイの女子高の先生をしているような気分になる」と川口氏は語る。現在正社員約80人、アルバイト約200人となっていて、タイ国籍の人は70%を占めている。
同社の社是は「ハッピータイランド」。川口氏は「性別や国籍はまったく意識しない、楽しく食べて飲んでおしゃべりして過ごす、この世界観を広げていく」と語り、川口氏が官僚当時に魅入られたタイの世界を、同社に集まるタイの人たちの自然体の行動によって育んでいる。
同社のブランドは4つと述べたが、具体的には「クルン・サイアム」「オールドタイランド」「タイストリートフードbyクルン・サイアム」「タイ料理研究所」となり、立地や利用動機を想定して使い分けている。この4つのブランドともに、メニュー構成や客単価はほぼ同一。ランチで1300円、ディナーが2000円前半。二つの時間帯を合わせて1700円あたりとなっている。
コロナ禍となって、調理済み冷凍食品の「スース―デリ」の発売を2020年5月より始めた。リアル店舗で販売しているほか、ホームページで「自宅でも本格タイ料理を!」とうたってECも行っている。これはB to Cであるが、B to Bでも行っていて、コロナの当時には同業他社の30店舗におろしていて、これらの店ではゴーストレストランを営んでいた。また、現在はスーパーにもおろしている。
【タッチパネルで調理済み冷凍食品をECで販売していることもアピール】
農園事業によって従業員に誇りが生れる
SSCのリアル店舗ではオーダリングをタッチパネルで行う。タッチパネルでは、オーダリングの合間に先の「スース―デリ」など、会社の事業を発信している。
これらの発信の中で注目されるのは、同社が農園事業を行なっていることをアピールしていることだ。川口氏による「レストラン事業と関連する事業を展開してトータルでブランディングすると、少しずつ成長できるのではと考えていた」という。
千葉県市原市の市内に2022年3月から休耕作地の手配を始めて、現在5000坪の農地を確保している。メインでつくっているのは唐辛子で、全店でこれを使用している。また、夏場にはホーリーバジル、スイートバジル、冬場になると赤ピーマン、ニンニクをつくっている。この農園事業は、たくさんのことが関連して進んできた。
まず、SSCのタイ野菜はもともとすべて輸入品を使用していた。しかし、輸入品は検査が入って入手が滞ることもある。そこで、自分たちでタイ野菜をつくってしまおうという想いがあったという。
また、市原市内の「市原ぞうの国」が改装するタイミングで、こちらのレストランとの取引が始まった。SSCの関係者に土壌医がいた。川口氏はあるとき、「象の堆肥は、畑づくりに有効なのかな?」とひらめいて、この人に相談したところ「いける」と言う。そこで「市原ぞうの国」より象のフンを提供してもらい、これに地元の魚のアラや菌床を混ぜて、自社の堆肥場で堆肥化して、タイ野菜をつくるようになった。
このように農園事業が進展していくことで大きな変化が見られたという。それはまず、「土づくり、食づくり、人づくり」ということをスローガンにすることができたこと。ここでの循環型農業を通じて、飲食店で培ったことを活かして、市原市の地域産業にも貢献したいと考えるようになった。社内的には、従業員が、どのような材料を使って料理をつくっているのかを理解するようになり、自信を持って行動し、お客様をおもてなしするという意識が芽生えるようになった。
【ぞうの堆肥を活用して自社で農園事業を営んでいることをアピール】
この8月17日と18日に千葉のマリンスタジアムがある一帯で、アジア圏最大級の都市型音楽フェスティバルサマーソニックが開催されたが、ここで「タイビレッジ」の運営を依頼された。SSCは「タイ文化のエキスパート」として認知されている証である。
川口氏は、タイ料理とタイの人の人間性に魅かれて、この道一筋に20年間を積み重ねてきた。こうしてSSCが培ってきた特徴のはっきりとした企業文化は、さまざまな場面で必要とされる存在となっている。
千葉哲幸(ちば てつゆき)
フードフォーラム代表 フードサービス・ジャーナリスト
柴田書店『月刊食堂』、商業界『飲食店経営』の編集長を務めた後、2014年7月に独立。フードサービス業界記者歴三十数年。フードサービス業界の歴史に詳しく最新の動向も追求している。「フードフォーラム」の屋号を掲げて、取材・執筆・書籍プロデュース、セミナー活動を行う。著書に『外食入門』(日本食糧新聞社発行、2017年)。
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